sukiyaki-k’s diary

アラフィフからのやり直し人生。日々のことや黒歴史など思いつくままに綴っていきます。

嫌われる勇気からの疑問

こんにちは。

sukiyaki-kです。

 

今日は先日読んだ「嫌われる勇気」

について、自分の中で引っかかりができているので

自分の考えを書いています。

賛否両論あると思いますし

皆さんの意見もお伺いしたいので

反対意見、賛成意見、どちらともいえない意見など

コメント欄で教えていただけると嬉しいです。

 

「嫌われる勇気」の本の紹介はこちらです☟

sukiyaki-k.hatenadiary.jp

「嫌われる勇気」~大まかな内容~

『哲学者』と『青年』という二人の登場人物が

「人はいま、この瞬間から幸せになることができる」

ということについて議論し、幸福とは何かを考えていくお話。

 

「嫌われる勇気」から私が教えてもらったこと。

個人的な解釈なので、ここの部分は飛ばしてもらって構いません。

自分自身の振り返りのために書いています。下のピンクの部分からが本題です。

「人は変われる」を前提に考える。←多分ここ重要

コンプレックスは存在しない。原因論ではなく、目的論で考える。

いじめにあったから友人が出来ない(原因論

対人関係で傷つきたくないから友人を作らない(目的論)

劣等感と劣等コンプレックスは違う。

健全な劣等感は成長の促進剤にもなりえるが、

劣等コンプレックスは自らの劣等感を言い訳に使い始めた状態のことを言う。

例)私は器量が悪いから結婚できない。

健全な劣等感とは他者との比較から生まれるものではなく

「理想の自分」との比較から生まれるもの。

人生の課題は4つある

行動面では「自立すること」「社会と調和して生きること」

心理面では「私には能力がある」「人々は私の仲間である」という意識を持つこと。

自由とは自分の生き方を貫くこと。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず

承認されないかもしれないというコストを支払わない限りは無理である。

幸福とは貢献感である。

「わたしは誰かの役にたっている」という主体的な感覚が貢献感。

他者が私に何をしてくれるかではなく

私が他者に何ができるかを考え実践していくことが幸せに生きるということ。

自分を存在レベルで受け入れることが幸せになる勇気に関わる。

「いま、ここ」をしっかりと生きていれば幸せである。

人生は細かな点の連続である。

人生における最大の嘘は、今置かれている状況の中をしっかり生きていないこと。

他者貢献するという指針を忘れなければ人生で道には迷わない。

 

 

ざっくり言ってしまうと

自分が思っている以上に人は

自分のことを見ていない。

人の目を気にしすぎず

自分の人生を生きる。

等身大の自分を受け入れ

他人を受け入れ

他者に貢献することが真の幸福。

と、捉えました。

 

この本の教えは

前提として

世間一般で言うところの「良い人」が対象になっているのではないだろうか?

読み終えて、自分の中で反芻していくうちにこの疑問が出てきました。

自己中心的な人が

「嫌われても自分を貫く」

ってなってしまったら

世の中、自分中心な人だらけになってしまうような危うさも感じています。

「人は誰でも幸せになれる」

と謳ってはいますが

この理論は、道徳心を持っている人を対象としてるのではないだろうか?

世の中での道徳心、倫理観、何が正しいかは

その人の置かれている状況によって異なる。と思っているので

「誰でもが幸せになれる」との言いきりは難しいと感じてしまいます。

そのために生きる上で「他者貢献」という指針が出てくるのですが

貢献すべき他者を間違ってしまった場合

世の中はどうなってしまうのだろう・・・

最終的には他者貢献が「幸福」という理論なので

自分も大事に

他人も大事に

そして自分を好きになるための考え方が書かれていますが

「良心」「人を信じる力」

これらが欠けている場合には

人は幸せにはなれない。と思ってしまいます。

特に「人を信じる力」と言うのは莫大なエネルギーを必要とします。

これについてはまた別で記事にしたいと思っています。

 

引き合いに出すべきなのか少し迷いましたが

私が引っかかりに感じた理由は「7つの習慣」を読んでいたことに起因します。

7つの習慣」でも

成功のカギとして「自立」「相互依存(社会との調和)」を挙げています。

これは「嫌われる勇気」でも人生のタスクとして掲げられています。

ただ、違うのは

7つの習慣では

まず、自分自身の価値観を明確にするというところから始まるのです。

「人は物事を自分の見たいように見る」

つまり、自分の価値観を通して物事を見て解釈しているというのです。

思い当たる節が幾つもありました。

「お母さんのいない子供は可哀そう」

「貧乏だと幸せではない」

等、自分自身の価値観のフィルターを通して物事を見ていたと思います。

実際はお母さんが居なくても、祖父母が大きな愛情を注いでくれていて

とても幸せな子供だったとしても

「お母さんがいないからこの子は可哀そうな子だ」

という自分の決めつけによって

その子供を見てしまうことがありました。

お金はなくても、家族みんなが仲良しで

笑顔の絶えないお家は不幸なのでしょうか?

そういった、自身の物事の見方の癖、価値観を明確にして

自分の中の地図を持つことから始めよと教えられます。

その地図が間違っているとしたならば、

道徳、良心に従って地図を修正していきなさい。

そのうえで主体的でありなさい。

と勧められます。

(☝sukiyaki-kの解釈なので、

違う意見をお持ちの方の考えも是非聞いてみたいです。)

「嫌われる勇気」でも

主体的であることが自由に生きることだと述べていますし

7つの習慣」でも

最終的には「他者貢献が幸せ」というようなことが述べられています。

 

色々な自己啓発本がありますが

「道徳」「良心」は人の本質的な部分だと思っています。

ここを間違うとどんな素晴らしい理論も

十分な効果が発揮されないように思います。

 

嫌われても自分の人生を歩く。

他者貢献は忘れないで生きる。

一見すると矛盾しているようなこの生き方は

「良心」が根底にないと難しいと思っています。

逆に「良心」「道徳心」があれば

この二つの生き方が融合して素晴らしい人生を歩めるのではないかと考えます。

 

とっても長くなってしまいましたが

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

皆様方の意見をぜひお聞かせください。

お願いします。

 

秋を感じる鬼灯♪

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