sukiyaki-k’s diary

アラフィフからのやり直し人生。日々のことや黒歴史など思いつくままに綴っていきます。

滓(スラグ) 「-echo of mine-」

今週のお題「自由研究」

 

 こんにちは。

sukiyaki-kです。

 

今日の記事は

『私の夏の自由研究発表』です。

 

美術大学の大学院複合芸術研究生の展覧会に行ってきました。

展覧会のテーマは『滓(スラグ)』

 

今は閉山してしまった鉱山の跡地に残る「滓(スラグ)」

「滓」は訓読みで「かす」、「残りかす」という意味になります。

スラグとは鉱石から金・銀・銅など金属を製錬する際に出てくる不純物のことで、

日本語では「鉱滓(こうさい)」と呼び、非鉄金属性の場合には鍰(カラミ)とも言います。

端的に言うと「スラグ」=「カラミ」です。

鉱山の跡地には、この「カラミ」が自然とは混ざり合わずに存在しています。

この展覧会では「カラミ」を素材として作品を展開し、現代社会を生きる私たちが不要としているものや存在を見つめなおすことが目的とのことでした。

学生たちが懸命に作った作品からの問題提起を

問題のまま終わらずに、自分なりに考えた証として記事に残そうと思いました。

 

残りかすとしてのスラグを用いた作品の展覧会は

開催前から私の興味を惹きました。

「世の中から不要とされる物を用いて作られる作品というのは

どういうものなのだろう。」

実際にこの目で見て、「これが本当に残りかす??」という衝撃を受け

まさに展覧会の目的である「不要とされる物、存在の見つめなおし」を考えました。

 

写真OKとのことだったので撮影させていただきました。

f:id:sukiyaki-k:20210810113004j:plain

『さいわいの澱(おり)』

作者の言葉

過去に起こった出来事の記録は本当に正しいのだろうか。

私が過去に接続する方法は、カラミに触れること、

そこになる環境音に耳を澄ますことしか残されていないのではないだろうか。

畢竟(ひっきょう)みんな幸せになれましたか。

2021年、残ったものは滓と澱んだ水とがらん洞。

 

f:id:sukiyaki-k:20210810113143j:plain

『岩瀬海「Non-binary」』

作者の言葉

カラミが粗大ごみと語られたように、不要必要といった二元論での価値づけは、日常の中でよく見られる。そもそもそのような価値基準に当てはめる必要があるのだろうか。

物事を単純化することににより、見落とされてきた何かについて考えるとともに、

そもそも不要とは何なのかについて、システムや構造から考え直す。

 

f:id:sukiyaki-k:20210811155852j:plain

『Still moving』

作者の言葉

人間による行為や介入を思わせる音と、大きな動きがないカラミの砂山の様子。

これらを通じて私が想起させようとしたのは、自然と人間のそれぞれに流れている時間や、持っている力における根本的な違いである。

このことは「巨大やカラミの砂山に人力で穴を掘る」という行為を通じて、私が得た感覚でもある。

 

作者の方々の感性の豊かさ、想像力に感嘆しました。

 

クリエイティブの本質について、脳科学者の茂木健一郎さんは著書の中で

「様々な制約をクリアしながら新しいものを創り上げること」

とおっしゃっています。

誰もがクリエイターになれる。

けれども

何かを創造しようとするときには様々な制約やリスクがあります。

その中で大胆に作品を発表できる作者の方々を私は尊敬します。

作品を発表できる場所があるということは、幸せなことだと思いますし、

物づくりのモチベーションを保つためには必要だと思います。

ブログも同じで、発表できる場所があって、読んでくれる方がいるから

書き続けるモチベーションを得られる、と私は思っています。

 

作者の作品、言葉を拝見し私が感じたことは

「賢者は歴史から学ぶ」

「何が必要で何が不必要かは個人の価値観によって異なる」ということです。

現在、必要とされているものの中には

将来的には無用の長物となるものもあるでしょう。

先人たちの経験を知り、どのように対処していくのか

間違った対処をしてた場合にはどのように改善するのか

どのような未来が理想なのか

しっかりとしたビジョンをもって

現代社会の問題に取り組む姿勢が必要なのではないかと

そんなことを思いました。

 

とは言いつつも

正直、理想の未来はなかなか思い描けません。

何故なら、日々が精いっぱいだから(笑)

それでも、

未来を担う若者の創造に関心を持ち

一緒に考えていくことができたなら

新しいシナジーが生まれ、

笑顔で暮らしていけるのではないかと考えました。

 

これで発表を終わります。

 

ここまで読んでいただいてありがとうございました。