sukiyaki-k’s diary

アラフィフからのやり直し人生。日々のことや黒歴史など思いつくままに綴っていきます。

インターネット文学とインターネットについて考えた話

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

文学とは瀬戸内寂聴さんの言葉を借りれば

「世の中に矛盾や理不尽があるから、世の中を疑問に思い、考えたくなって物語を書くことが文学。」寂聴 九十七歳の遺言より

とのこと。

芸術は問題提起と言われるように、文学にも問題提起の側面があります。

インターネットがここまで普及していなかった時代、

何かしらの主張があるときには、或いは物語を書いた時には

新聞へ投稿したり、雑誌へ応募したりしていましたが

そこには審査があり、なかなか自分の主張や意見、物語を掲載させてもらうことはできません。

もちろん、素晴らしい文才をお持ちの方であれば、毎回掲載されることでしょう。

しかし、現実はそのような方は一握りです。

一個人の考えを主張する場としてインターネットはとても自由だと思います。

私にとってのインターネット文学とは、

「個人が自由に思想を書き発信する場所。」

という認識です。

そして、インターネットだからこそできる

行間の使い方、空白の使い方があると思います。

時には写真や絵画を貼り付けても良いでしょう。

見やすさ、という点においては

規定の枠に収められた活字を読む書物よりも

優れている部分があると感じています。

既定の枠に収められている活字だからこそ

読み手の想像力を掻き立てる。ということもあるので

どちらが良いとは言い切れないのですが(笑)

 

今はSNSを通じて、個人が様々な情報を発信することが可能になりました。

スマホの普及がますますインターネットを身近な存在にしてくれました。

インターネットの世界はどこまでも広くて

無限大だと感じます。

 

オープンチャットやブログなどを通じて

同じような悩みや傷を持つ人と交流し

人とのつながりの中で癒されたり、

喜びを感じたりできる場所にもなっています。

それまでであれば、決して交流できなかったであろう遠方の友人が出来たり

価値観の似た人と知り合えたり、

時間の節約もできるようになりました。

お仕事のプレゼン資料、企画書など、メール添付で一瞬で相手に届きます。

既存の銀行よりも利率が良い、ネット銀行まで出来ました。

インターネットの普及は、

私たちの暮らしをどんどん便利なものにしてくれています。

 ただ、残念なことに、良いことばかりではなくなっています。

インターネットの匿名性を利用しての誹謗中傷、

その結果、命を絶つようなことまで起こってしまっています。

そして、人と繋がりやすくなった分

人と離れるのも簡単になってしまっているような気がしています。

ラインやツイッターなど

リアルタイムでのやり取りが可能となった分、

コミュニケーションも時短になっているので、

これまでの経過、というものが少ないからなのでしょうか。

はたまた、コミュニケーションが即時過ぎて、

相手を慮る余裕すらなくしてしまっているのでしょうか。

インターネットの普及により

自由に人と交流できるようになった反面、

「片時もスマホを離せない」というのは

不自由ではないのかな、とも思えてきます。

  

時代の流れの速さに

ついていけなくなってきなぁと感じるこの頃、

気が付けば50歳まであと数か月(笑)

 

インターネットを通して

かけがえのない友人にも恵まれました。

調べたいことは、図書館へ行かずとも調べられることも増えました。

インターネットは私の暮らしを豊かにしてくれています。

ですが、

敢えて、

不便なアナログな方法をとることも、

たまにはいいなと思っています。

敢えて、手紙を書く。

敢えて、図書館へ行く。

時間効率は悪いのですが

その無駄な時間が私に教えてくれるものが

大切だったりしています。

 

私にとって、インターネットはなくてはならない

あって当たり前の存在ではあります。

ですが、時には距離を置いて

不便の中に身を置いてみると

見えなかったものが見えてくるような

そんな気がします。

 

はてな20周年!おめでとうございます。

 

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

 

果てしない空♪


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