sukiyaki-k’s diary

アラフィフからのやり直し人生。日々のことや黒歴史など思いつくままに綴っていきます。

読書の秋

今週のお題「読書の秋」

 

月曜日、詩集を読む。

必要最低限の言葉だけが綴られた物語。

想像力を膨らます。

詩集の中にある風景を脳内でパズルしていく。

無駄のない言葉達が頭の中で躍動する。

脳内の眠っている記憶までも目覚めさせる。

日本語は美しいと思った。

美しい正しい日本語を遣える女性になりたいと思った。

 

火曜日、短編集を読む。

就寝前、薄暗いベッドランプを灯し、一編だけのつもりで読み始めた。

布団から出る本をめくる手が少し冷たい。

物語が面白くて、手がすっかり凍えてしまった。

手が冷たいと眠れなくなる。

本を開いたまま裏返して置き、手をこすり合わせ息を吐いて温める。

体内の奥底の深いところの体温が下がっていく。

睡魔がやってくる。

しかし、本の続きも気になる。

こうして寝不足になることを知っているくせにやめられないのは

読書中毒なのかもしれない。

 

水曜日、論語を読む。

筆記用具を用意してメモを取りながら読み進める。

「道徳の乾物」と揶揄されることもある孔子だが、私は好きだ。

ただ、難しい言葉も多くメモを取りながら少しづつでないと

読み進められない。

一度目を通しただけで読んだ気になるのは嫌だ。

きちんと理解しながら読み進めたい。

そんな理想を掲げているおかげで遅々として進まない。

図書館に一度返して、また借りてを繰り返している。

 

木曜日、読みかけの小説の続きを読む。

本をめくると即座に小説の中の世界へと入り込んでいく。

脳内で、イメージを膨らませて小説の世界を映像化する。

作者が思い描いている景色と

私が脳内で映像化している景色では違いがあるのかもしれない。

でも、それは大きな問題ではない。

小説の良いところは自分の好きなようにイメージできるところだ。

人それぞれ、解釈に違いがあってもよいとさえ思っている。

小説の語り手が主人公であったならば、

その時、私は主人公の理解者となる。

小説の語り手が第3者であったならば、

その時の私は物語の傍観者となる。

空想の世界で私は自由に想像をする。

 

金曜日、昨日の小説の続きを読む。

物語の中に没頭しつつも

時折本から目を離す。

登場人物たちの仕草や行動が丁寧に描写されてはいるが

その人たちの感情やその時の気持ちは書かれてはいない。

とにかく想像する。

その描写から、人物たちの感情、考えたこと

その行動の背景にあるものは何かを考え、

ひたすら泣いた。

今回読んだ小説は「愛」がテーマだった。

 

 

ここまで読んでいただいてありがとうございました。