敬老の日
こんばんは。
sukiyaki-kです。
今日は敬老の日でしたね♪
子供時代、敬老の日に祖父母へ似顔絵をプレゼントした方も多いのではないでしょうか?
なんとなく、母の日、父の日の延長線上で
祖父母に感謝する日という感覚でいたのですが
老いを敬うと書いて敬老、ということは他にも意味があるのでは?
と思い、敬老の日を調べてみたところ
「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」
として国民の祝日として制定されたとのこと。
母の日、父の日は祝日扱いではないですし、
固有名詞がないということは、社会全体の高齢者を指すわけで
それよりも意義深い日なのかなという印象を持ちました。
しかし、高齢化が進む日本では長寿は珍しくはなく
「老害」なんていう言葉まであるくらいです。
実際、これが「老害」というものか!!
というような事例に出合うこともあります。
私が思う「老害」とは人物そのものよりも
その方の言動にそれを感じることがあります。
若い人の意見を聴かずに、自分は絶対だと思い込み
自分と反対意見の人間は罵倒する。
年功序列でもらった地位を自慢し、権力を傘に着て
他人の非を責め、自分の非は認めない。
そのような現場に遭遇すると、これが「老害」なのか、
壮年期のエリクソンの発達課題をクリアできなかった姿がこれなのかと
勝手に分析しております(笑)
そして、私自身もこうならないように気を付けようと思うのです。
☟エリクソンの発達課題の記事です。
それでも、その方々にもこれまでに生きてきた過程というものがあって
皴の分だけ、涙もし、笑いもし、悔しい思いなども乗り越えて
社会貢献も果たしてきたんだろうなと想像し、
長寿であること、それだけで尊いと思っています。
私にはもう祖父母はいません。
とても残念ですが
「死」は誰にでも平等に訪れます。
もっと教えてほしかったことがたくさんあったと、
今さら後悔していますが、もう時すでに遅しです。
おばあちゃんの作る笹巻、柚餅子餅、大好きだったのですが
作り方がわかりません(笑)
スーパーで買ってきても、なんか違うのです。
お彼岸の時期、一緒にお団子を作るのが我が家の慣習でしたが、
今ではおはぎも、お団子も全部スーパーで賄うようになりました。
時代の流れと言ってしまえばそれまでなのでしょうが
子育てがひと段落した今、
少し寂しい気持ちでいます。
子育てが忙しかった頃は、「お団子なんてスーパーで十分、スーパーで美味しい。」
なんて 勝手なことを言っていたくせに、この有様です( ´艸`)
お料理だけでなく、生きる力、知恵も聴きたかったです。
「老いたる馬は道を忘れず」という言葉があります。
経験を積んだ人は方針を誤らないというたとえです。
老馬はいろいろな道を知っており、迷うことがないということから。
中国、斉の桓公が山中で道に迷った時に、老馬の歩みに従って無事に帰り着いたという故事から。
この言葉だけでなく
「亀の甲より年の功」
年長者は、長年経験を積んでいるだけに、若者には及ばない知恵や技能がある。
というように、ご高齢の方々の生きてきた過程を敬い、知恵を授かることは
これからの若い世代が優しい社会を作るために、とても大事なことのように思います。
今はスマホの普及によって、わからないことは
「グーグル先生」が何でも教えてくれるので、自己完結できるようになりましたが
時には、高齢者を頼って対話によるコミュニケーションからの知識の吸収も良いのではないかな、なんてことを思った日でした。
祖父母がいない今、私にとっての敬老の日は
「人生の先輩を敬う気持ちを忘れないように再確認する日」
としての位置づけになりました♪
ここまで読んでいただいてありがとうございました。