sukiyaki-k’s diary

アラフィフからのやり直し人生。日々のことや黒歴史など思いつくままに綴っていきます。

祖母のこと

こんばんは。

sukiyaki-kです。

 

今日は祖母の命日でした。

享年89歳

大往生だったと思います。

 

働き者で、明るくて

とっても優しい祖母でした。

私は小学校に上がるまで

祖父母と一緒に暮らしていました。

毎晩一緒にカルタやトランプで遊んでくれる

優しい祖父母が大好きでした。

祖母はお話も上手で、

毎晩、寝る前に聞かせてくれる昔話も大好きでした。

 

実際の両親は

私を預け、新婚生活を楽しんでいたとのことです。

私が祖父母の家で暮らしている間に弟が生れまれ、

両親は、益々、私のことどころではなかったようです。

 

小学校に入り、両親と一緒に暮らすようになるのですが

私にとっては地獄でした。

何かあるたびに、両親から

「お前は、おじいちゃん、おばあちゃんに甘やかされて育ったからわがままだ」

と怒られ、殴られ、蹴られ、

ひどい時には、怒られる理由もわからないままに

暴力を振るわれていました。

返事が悪いと顔を殴られて、切れた瞼の傷は、

いまだに痕跡があります。

中学生になると裸で外に放り出され、髪を切られ

どんなにみじめで恥ずかしかったことか。。。

今でこそ

子どもの人権を守ろう

なんて言ってますが

あの頃の私に人権なんてものはなかったと思います。

一緒に暮らし始めた時、

私は嬉しさでいっぱいでした。

どんなに放置されていても

両親が好きでし、

それまで、両親がいつも家にいないことに

子供ながらに引け目を感じていましたから

これからは、そんな思いをせずに済むんだって

期待していました。

でもね、

実際はね。。。

両親と弟、3人の生活が成立している中に私が入っていく。

両親としては「不純物が来た」

みたいな感じだったのでしょうか。

それまでの生活環境が違うので、

日々の習慣も違います。

そして、私自身、自分で納得できないことには従わない

頑固な性格なので

扱いにくい子供だったのでしょう。

なので、暴力や辱めを与えることで

言うことを聞かせようとしてたんでしょうね。

悪くいってしまえば、躾ではなく支配です。

子供は所有物という感覚だったのではないかと思います。

あっ、弟には両親は優しかったですよ。

弟は両親の言うことをよく聞く素直な子供でしたから。

それに、生れてからずっと一緒にいるんですよ、

初めて歩いた、初めて話した、

その成長を見ていたら、可愛いのは当然だと思います。

「産んだから親になるのではない。子供を育てて親になるんだ」って

誰かが言ってましたが

本当にその通りだと思います。

そんな両親との生活は私にとっては

苦痛以外の何物でもなく

家が嫌いで

とにかく早く自立して、家を出たいとばかり思っていました。

愚痴ぽくなってしまいましたが

今ではsukiyaki-k

あの頃の両親の年齢を大きく超えたので

両親がいかに余裕がなかったのかも分かるようになりましたし

なんだかんだ言っても親ですから

この世に生を与えてくれたことには感謝しています。

 

タラレバ、になりますが

一緒に暮らし始めた時

両親が少し想像力を膨らませて

「子供とはいえ、これまで生きてきた環境が違うんだよな」

と思えることができたなら、

もう少し、sukiyaki-kを理解しようと思ってくれていたなら

両親の私に対する態度は、もっと違ったものだったのではないかと思うのです。

そうしたら私の人格も、もう少しよくなっていたかもしれません(笑)

両親を責めているわけではないです。

あの当時、私に行っていた体罰

このご時世であれば、児童相談所に通報レベル

ですが、もう時効です(笑)

それに、

エレノア・ルーズベルトフランクリン・ルーズベルト大統領の夫人)は

「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない」

と言っていますし

ガンジー

「自分から投げ捨てさえしなければ、誰も私たちの自尊心を奪うことはできない」

と言っています。

全ては自分の心が決めることなんです。

だからもう、両親を恨んでいません。

こうなるまでにはかなりの年月を要しましたが・・・

前置きが長くなりましたが

これを書かないことには

私の赤っ恥人生は語れないし

私にとって祖母がいかに大切な存在であったかが伝わらないと思うので

ここに書き記しておきます♪

 

祖父母の家にいる時

私は本当に幸せだったと思います。

絶対的な安心感

無償の愛がそこにはありましたから。

両親との思い出よりも

祖父母との思い出の方が多いです。

祖母はいつも、味方でいてくれました。

晩年は認知症で、

明るく優しかった祖母が

人に疎まれるようになってしまいました。

そのころ、父が介護のために祖母と暮らしていて

私は、父のいる家には近寄りたくもなく

晩年の祖母に会うことはほとんどありませんでしたが

祖母はいつも、私を待ってくれていたとのことでした。

なんで、もっと会いに行かなかったのか

なんで、もっと祖母の味方になれなかったのか

なんで、もっと優しくできなかったのか

なんで、なんで、なんで、がたくさんでてきて

自分を責めるばかりです。

くだらない父とのわだかまりのせいで

祖母に寂しい思いをさせたこと

申し訳なくて、自分が情けなくて、

ただただ泣いています。

 

祖母には感謝しかありません。

棺の中の祖母は、穏やかな顔でした。

冷たいほっぺたをなでて泣きました。

様々な後悔があります。

アラフィフになった今でも

祖母の温かい笑顔や温もりを思い出すとき

私は子供に帰ります。

あと何年先になるかわからないけど

いつか天国で会おうね♪おばあちゃん♪

 

あっ!!

私が地獄にいったら会えないじゃん(;・∀・)

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ
にほんブログ村